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No.7 家相と方位
家相と言えばまず思い浮かぶのは鬼門、そして当るも八卦当らぬも八卦という占いの世界です。
今から二十年あまりも前の事ですが、世の中の大勢は既に迷信や因習が巾を利かせるような時代ではなかったのですが東工大教授で建築家の清家清博士が書いた「家相の科学」が話題を呼び当時ベストセラーになりました。
この本のサブタイトルに「建築学が発見したその真理」とあり、家相を単なる迷信として否定せずに古代からの経験的知識の累積として有用なものが多く含まれているという観点から科学的、建築学的に説明したものです。
これは見方を変えますと家相で語られる諸説のうち今日の料学に照らし合わせても辻褄の合う項目だけを拾い集めてきて、その項目を目次にして博士の建築学あるいは住宅論をまとめたものと見ても良く、さらに言えば家相なんか無くたって建築学で全て説明がつくと思える様に工夫して書かれている風にも思えます。
しかし現代にあっても時おり家相、方位、鬼門、と言った事を気になさる建築主に出会うことがあります。若い建築主の中にはスポンサーである親や舅に気兼ねして付き合っている場合などもありますが、ズバリ本人が大真面目で信じている人も結構いるものです。
問題なのはどう見ても間取りが悪くなる方向になりがちな事で建築学的には受入れ難い要求であることが多く、清家博士の言うようにはうまく行きません。
しかし建築主も理性的にはその事を十分承知した上であえて家相の説を入れて若干の住みにくさやコスト高に甘んずる決定に落ち着くのです。自宅の新築というハッピーな状況を前にして何か浮き上がった後ろめたい様な心理状態から精神の安定を求め、むしろ自虐的な行為によって何らかの償いの意味合いを込めて、合理的には不利益なことを受入れるのでしょうか。
かく言う視点も又科学の光の中で物を見ようとしているのですが、家相へのこだわりは人間の住まいに対する思い入れの深さといい加減さとを共に象徴しているように思われます。
世界には科学で説明できない事実もたくさんある訳で科学を超えた領域に何かあるのかも知れないのですが、科学を超えているだけにそれを科学的に説明することはできない理屈になる訳ですね。
田辺 吉田
カット・高倉瑶子