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No.3 玄関
日本の住いには、先ず入り口としての玄関がある。
本来は、来客用の出入口なのである。
何故「玄関」と云うのだろうか、この起源は鎌倉時代帰化僧栄西が、京都の建仁寺に、客殿への入り口としてこれを初めて試みたと伝えられている。
「玄関幽鍵感而遂通」と云う句があるが、玄妙の域に入る関門と云う意味であり、また「玄は又玄、幽妙の門」と云う句などから出た名称である。
室町時代には書院造りに用いられ、江戸戸時代になると、武士と豪族だけに許された名字帯刀と同じ意味合いを持つものてあった、その後次第に普及変遷して、今日の様に一般的に用いられるようになった。
「玄関には、土間と取次間の境界には、沓脱石、上り段、敷石などを設け舞良戸をはめ殺して両側に建て、中二枚を障子にするのが普通である」と私達が建築を学んだ頃の本に記されている。
現代でも玄関は、日本人独特の閉鎖的思考からも良く出来たもので、家の中へ通しても良い客であるかどうかここで判断し、まずい客であれば、あっさりと玄関払いをすることが出来る関所でもある。
前述の沓脱石、上り段、敷石も、玄関框などに置き換えられ、徐々に玄関と部屋との段差が少なくなり、格式とは別に、これも現代の風潮であろう。
生活の形態が、いくら洋風化されても、扉を開けたらすぐ部屋の中と云うのは、やはり抵抗があり、靴を脱ぐ住い方が変わらない以上、我々日本人にはやはり必要な場所である。
禅で云う玄関は、この部分だけ突起していなければならないが、スムースにその建物に人を導き入れる為には、立ち止まる事なく、自然に、魚が網に掛かる様に、流れ込ませたいものである。
玄関に入ると、いきなり建物の中と云う暗い重圧感を持たせないで、いつのまにか室内に入り込める様、外部との空間のつながりを残せたら素晴らしい。
また「玄関はその家の顔なり」などとよく云われるが、顔だけ厚化粧するのではなく、家(住まい)全体のバランスと住まう人の個性を大切にしたいものである。
坂東 沢田
カット・高倉瑶子